数式とはこの世に存在する状態や変化を形にしたものだと言われます。そしてこの世に存在する状態や変化というものを用意したのは「神」であると、昔から考えられてきました。優れた功績を残した数学者に神に敬虔な人が多いのは、数学を解き明かすことで、神のメッセージを知りたいという強い気持ちがあったのかもしれません。現代で言えば、推しのアイドルが好きすぎて、彼女や彼がSNSで発信するわずかなメッセージの行間を読んで、その真意を脳内補完するようなものだったのかもしれません…
今回は「なぜ数学者が数学に夢中になるのか」「どうして神羅万象のパターンから方程式を導き出そうとするのか」について、考えてみたことをまとめました。
※ポエム回です。
数学者が神のメッセージを読み取るということは、神の考えや設計図を知りたいと思っているからだとすると、彼らは「この世」のわからない部分を明確にしたかったのかもしれません。神が作った世界の形が分かれば、人間がなぜ生まれたか、なぜ存在するか、哲学的な問いにも何らかの答えが得られて、それが安心に変わるかもしれません。古代ギリシャ時代の数学者の多くは哲学者を兼ねていた(哲学者が数学者を兼ねていた)のも、モチベーションが同じだったのならば、納得です。数学者たちが「はっきりさせたい」と考える範囲は、時代の流れとともに「身の回り」から「地球」へ、そして「地球」を飛び出して「宇宙」へ輪を広げているように思います。
多くの数学者にとって、数式や理論を通じて「神の設計図」を探求することは、「この世界の根本的な仕組み」や「人間の存在理由」を理解する旅でもあります。その過程は、安心や意味を求める人間の本質的な欲求と深く結びついています。
数学と哲学の交錯 – 存在の問いへのアプローチ
数学者たちは、目に見えない「秩序」と「真理」を探し出すことを通して、世界の成り立ちや宇宙の本質に迫ろうとします。それはまさに、哲学的な問いである「私たちはなぜ生まれたのか?なぜ存在するのか?」という疑問に対する答えを求める営みです。こうした探求の流れは、次のような段階をたどっていると考えられます。
1. 身の回りの秩序を求める
- 古代ギリシャのピタゴラスは、「数は世界の本質である」と考え、身の回りの現象が数的な関係で説明できることに気づきました。
- 身近な事象、例えば音楽の調和や図形の美しさも、数学的な法則で説明できるという発見が、世界を理解する第一歩でした。
2. 地球という舞台の理解
- ケプラーやガリレオなどの科学者・数学者は、「地球の運動や自然現象を支配する法則」も神の設計の一部だと捉えました。
- 地球の引力や運動の法則を明らかにすることで、宇宙に対する理解を深め、人類の存在理由に迫ろうとしたのです。
3. 宇宙という無限への挑戦
- ラマヌジャンやカントールが取り組んだ「無限」の概念は、単なる数学的挑戦を超え、宇宙そのものの性質を解き明かす鍵となりました。
- 宇宙の構造や始まりを知りたいという欲求は、ビッグバンや量子論、さらには現代の宇宙際タイヒミュラー理論のような新しい理論へとつながっています。
4. 存在理由の探求と安心への欲求
- ゲーデルやエルデシュのような数学者は、数式の中に「神の意思」を読み取ろうとし、存在の不安に対して数理の秩序が安心を与えるものだと信じました。
- ゲーデルの不完全性定理は、論理の限界を示しつつも、「私たちの理解を超えた領域が存在する」ことを教え、その領域を探ることで、人類が求める安心感に一歩近づこうとしました。
結論 – 世界を理解することが安心に変わる旅
数学者たちが神や宇宙の真理を探求するのは、「この世の仕組みがわかれば、不安が消え、安心を得られる」という願望の表れかもしれません。基本的に人間は「安心したい」「不安を消したい」と願うものです。哲学を学ぶのは「人間とは何かを知ることで不安を消す」科学や化学を学ぶのは「この世界を形成する要素や法則を学び不安を消す」、言語を学ぶのはこれらの学問をスムーズ化するためで、すべては「不安を消したい」「安心したい」に帰着しているのかもしれません。数学者はこのモチベーションによって、武器である「数式」や「理論」を使い、身近な事象から宇宙の果てまで、あらゆるものの背後にある「秩序」を見つけ出そうとしてきたのではないでしょうか。
その探求は今もなお続き、AIや量子コンピュータのような新しい技術が新たな「理解のステージ」を切り開いています。数式や科学の進歩が、人類の「安心」にどこまで貢献できるかは不明です。しかし、これまでの数学者たちが脈々と積み上げてきた知の集大成は、これから生まれる数学者たちが受け継ぎ、さらに「この世界の設計図」を少しずつ解き明かし続けていってくれるように思います。
人任せですねぇ(笑)