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エウクレイデスの「原論」よりも古い数学文献なんてあるの?

最も古い数学者による著書として有名な「原論」は、エウクレイデス(ユークリッド)によって紀元前300年頃に古代ギリシャに誕生しました。西洋の書籍では、聖書の次に多く読まれた本でもあるようです。今回はそんな「原論」以前の時代の数学に関する文献の存在について紹介します!

 

 

エウクレイデスの『原論』は、数学史の中で最も影響力があり、古くから伝わる数学の体系的な教科書として知られていますが、世界の数学史の中で「最古の歴史書」というわけではありません。ここでは、『原論』の位置づけとそれに先立つ数学的文献について説明します。

 

エウクレイデスの『原論』

『原論』は紀元前300年頃に書かれ、幾何学を中心に、数論や比例論などの広範な数学の分野を扱った13巻からなる体系的な教科書です。この書物は、数学を論理的に構築し、厳密な証明に基づくアプローチを確立したことで、後世の数学教育に非常に大きな影響を与えました。

もっと古い数学文献

しかし、エウクレイデスの『原論』以前にも、数学に関する文献や記録が存在しました。いくつかの例を挙げます。

  1. バビロニアの粘土板(紀元前1800年頃) バビロニアの数学は非常に古く、紀元前1800年頃に遡ります。これらの粘土板には、数値計算、方程式の解法、幾何学的問題の解決方法などが記されています。特に有名なのは、プルリスプレイメントの粘土板(Plimpton 322)で、これは初期のピタゴラス数のリストを含んでいます。

  2. エジプトのリンド・パピルス(紀元前1650年頃) エジプトのリンド・パピルス(またはラインド・パピルス)は、紀元前1650年頃のもので、算術と幾何学の問題を含む数学的文書です。これには、面積の計算や一次方程式の解法などが記されています。

  3. バビロニアの「シャンポリオンパピルス もう一つのエジプトの数学的文書は「シャンポリオンパピルス」(紀元前1900年頃)で、これは円の面積の計算や幾何学的な問題を扱っています。

 

エウクレイデスの『原論』は、数学の歴史において非常に重要な位置を占め、特に幾何学における体系的な記述と証明を確立した初期の例として知られています。著者が明確な数学書としては最古の文献ですが、数学に関する最も古い記録としては、バビロニア古代エジプトの粘土板やパピルスの方がはるかに古く、エウクレイデスの『原論』をしのぐ存在です。紀元前1900年も昔の人々がすでに円の面積や幾何学的な問題を取り扱っていたなんて、想像できないですね!特にバビロニアの学問の進み具合は興味深いです。どうしてそんなに数学の研究が進んでいたのでしょうか?さらに深堀してみました!

 

バビロニアについて

バビロニアは、古代メソポタミアの文明の一つで、現在のイラク南部に位置していました。バビロニアは歴史を通じて数多くの重要な文化的、科学的、政治的な功績を残し、その中でも特に有名なのが「ハンムラビ法典」と、数学や天文学の分野での高度な発展です。

バビロニアは、メソポタミア(現在のイラク)のティグリス川とユーフラテス川の間に広がる肥沃な平野に位置していました。この地域は、「文明のゆりかご」とも呼ばれ、世界最古の都市文明の一つであるシュメール(メソポタミア文明の源流)がここで誕生しました。バビロニアは、シュメールやアッカドの後継として紀元前2000年頃から栄えた都市です。特にバビロン(バビロン市)は、バビロニアの中心都市であり、巨大な都市国家として知られていました。

 

このバビロニアに存在する有名人といえば「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ王です。ハンムラビ王が制定した「ハンムラビ法典」は、バビロニア社会の法と秩序を維持するために作成されたもので、後の法体系に大きな影響を与えました。また、半ば神話的な存在ではありますが、ゲームやアニメなどでもその存在が知られる伝説的な英雄「ギルガメシュバビロニアの人物です。

 

バビロニアの数学

バビロニア人は数学と天文学の分野で非常に高度な知識を持っていたとされています。

バビロニア数学は60進法(セクスジェシマル)を基礎としていました。これは、現在でも時間や角度の測定に使われています(例えば、1時間は60分、1分は60秒、1度は60分に分割されるように、60が1単位のものが60進法です)。また、バビロニア人は一次方程式や二次方程式を解く方法を知っており、粘土板にそれらの問題と解法が記録されています。

有名な「プリンプトン322(Plimpton 322)」と呼ばれる粘土板には、ピタゴラス数のリストが記されており、これはバビロニア人がピタゴラスの定理を理解していたことを示しています。

Plimpton 322

このプリンプトン322の名前は、アメリカ・コロンビア大学のプリンプトン氏の322番目のコレクションであることが由来です。記述された内容がピタゴラス数に一致することは、19世紀の数学者、オットー・ノイゲバウアーによって明らかにされました。

 

バビロニアは、アケメネス朝ペルシア(紀元前539年)の侵略を受けて征服され、次第にその影響力を失いました。しかし、バビロニアの文化や科学的業績は、後の文明に引き継がれ、特にギリシャやローマの学者たちに影響を与えています。バビロニアの遺産は、現代の数学、天文学、法律など多くの分野で生き続け、その文化的影響は今もなお息づいています。

 

エジプトのリンド・パピルスについても、また日を改めてご紹介いたしますので、気が向いたときにまた訪問していただけたら幸いです!

 

 

Plimpton 322

Plimpton 322

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プリンプトン322なんて曲が存在したとは…!