文系から見る数学の魅力

数学を好きになりたいあなたへ

文系の私が数学にハマったきっかけ(ポエム)

今回は私peach fizzが数学にハマるようになったきっかけのお話です。読んでも何のためにもなりませんが、もしあなたが現在数学に苦手意識を持っていて、それを克服したいと考えていたら、少しだけお時間をさいてもらえたら嬉しいです。もしかしたら、数学嫌いをわずかでも改善するきっかけになれるかもしれません。そうなったら私にとって望外の喜びです!

 

 

 

典型的な文系人間の私は、数学に対してまったく興味がありませんでした。文字列が紡ぎだすイメージとストーリーを脳内に展開させることが好きで、子どものころから夢中で多くの小説を読みました。活字が好きで、本という物体も好きなので、書店や図書館は私にとって天国でした。もちろん今でも書店や図書館好きは変わらず、暇があれば一日中立てこもっていたいです。対象年齢が自分よりも高い本では、理解できない難しい用語が出てきますが、前後の文脈から適当に独自解釈していました。物語が途中で途切れることが嫌でしたし、現在みたいにスマホでちょっと調べる、という環境に至っていなかったためです。それゆえ誤った知識も多く脳内に刻まれましたが、あいまいな解釈を許してくれるのが文学の世界でした。

 

算数の頃は苦手意識はありませんでした。「これを覚えれば、こういうことに役立つ」ということが明確だったからです。あと、公文にいっていたこともあるかもしれません(笑)公文は偉大です。

 

しかし、順調に年を重ね、算数が数学にレベルアップし、親の転勤の都合で公文をやめることになったあたりから暗雲が立ち込めてきました。教科書の内容がそっけなさすぎて、理解できないことも多く、苦手意識が芽生えてきたのです。

 

理解できないことというのは「なぜこの式を覚える必要があるの?」という根本的なことです。

 

「解の公式を覚えて何になるの?」→「解の公式を覚えれば、解の公式が使えるようになる!」とか、「sin30°の値を覚えて何の役に立つの?」→「テストの点数が上がる」とか、そういう答えが欲しいわけではなく、この数式を覚えることで私の人生がどう豊かになるか知りたかったんです。(できれば学生時代に…)

 

「この難しい式を覚えてテスト以外の何に役立つの?」の回答は「なぜその式が生み出されたか」という背景を調べることで得られました。
私にとって、数学の背景を知ることで得られる人生の豊かさとは、人類の得た知識の発展の経緯を追体験できることにありました。簡単に言うと、その数式に紐づくストーリーを知ることです。数式を「覚えた」という暗記行為ではなく、誕生の経由を含み存在する意味を「理解した」という吸収行為に、ようやく学ぶ意味を見出せました。

 

人類はこの時こういうことに困っていて、それを打開するためにこういう研究をした、と知れれば知識に対する親近感がわきます。社会や理科は教科書の内容が入ってきやすい科目です。科学や生物の知識は何に紐づく情報なのかわかりやすいですし、歴史は文系にとって友達のようなもの。どのような軌跡を経て現代の世界が成立したのか、教科書に記載されるような歴史の転換期を生きた人々はどのように感じ、生きてきたか…興味を持つ足掛かりまみれです。そこにはわかりやすい「ストーリー」があるからです。しかし、数学は違います。いきなり定理や公理がボンっと出てきて「覚えてください」となる。興味もなく、自分の人生に必要なさそうなにおいがプンプンするのに、無理ですよね~…

ムリッ

興味がないと勉強にも身が入りませんし、放っておけば後回しにしてしまいます。受験のためと割り切れるほど賢くなかったので、数学はどんどん苦手になっていきました。文学と違ってあいまいさを許してくれない数学の世界は「だいたいこんな感じ」は却下です。その潔さ、明快さ、シンプルさこそが数学の魅力なのですが、子どもの頃の私にとって、それこそが数学の「嫌いなところ」でした。

 

今になってみれば、もっと積極的に数学の面白さを自分から調べて、興味を持てたらよかったな、もったいないなと感じています。

文系が数学に興味を持つ近道は「歴史を知る」ことだと思っています。特に数学者は他の分野よりもケタ外れの天才が多いことも魅力です。

 

「そんな若さで…マジ!?」「計算機よりも早く計算できる脳みそってどうなってるの?!」「目が見えなくなったことで『これで研究に没頭できる』って…超ポジティブすぎー!!」「ヒェッ!!事実に気づいただけで処刑されるとか…!!」と、個性豊かで強烈な人生を歩んできた数学者たちの横顔を知ると、どうしてそのように育ったかという背景や、彼らが見つめた視線の先(学問の内容)にも興味が生まれます。これは私が典型的なキャラハマリ型ということもあります。

 

例えば小説やアニメ、ゲームなどにハマる場合、そのきっかけは人によって異なります。作品の世界観を気に入る人、物語の展開が好きな人、特定のキャラクターを好きになる人。私はバリバリのキャラきっかけで、次点が世界観重視派ですので、数学に興味を持つきっかけとして「偉人(キャラ)」そして「偉人を形成した土壌(世界観)」が最適解だったのです。(数学の教科書ではこれらの知識が0でしたので、それはハマらないですよね)

苦手意識が薄れてくると、身近に存在する数学要素の多さに気づきます。数学=教科書の中の数式という凝り固まった見解があったので、日常には数学が至る所にちりばめられている(例えば、パズルや論理ゲームも数学の一種である)という認識がなかったのです。そういえば学生時代はナンバープレイス専門誌を毎月購入していました。マッチ棒パズルも好きですし、クイズ番組も親の影響で大好きでした。にもかかわらず試験のたびに「数学滅べばいいのに」と思っていたわけです。

 

数学はさまざまな場所の、一番根っこの部分にどっしりと存在しています。毎日操作するPCやスマホの設計や動作の仕組みにも、ゲームやナビゲーションシステムにも、信号や電車、飛行機などの交通整理にも、数学が他のジャンルの学問と組み合わさって基盤が築かれています。数学は地球の自然現象を読み解くこともテーマの一部なので、当然と言えば当然ですが。そしてその裏側には、多くの人間の調査や試行錯誤、それに伴うドラマが存在し、学校で教えてくれることは、底の深い巨大な「数学」という鍋の中で生成された、表面に浮かぶいっぺんの煮凝りに過ぎないのです。…わかりにくい表現でしたね。言い換えますと、大きな氷山のほんの一角に過ぎなかったのです。


冒頭で出てきた「解の公式」、これについても、世に広まる段階で、研究者同士のドラマがありました(これはまた別の機会に!)。解の公式だけでなく、多くの定理や公理、公式には誕生にまつわるドラマがあるんです。なぜそれらの研究がされたのか、その研究に数学者たちはどんな魅力を見出したのか、どのような経緯で現在のような形になったか、それらのエピソードはとても興味深く、そして面白く、味気なく感じられた数式を、人間味と体温が感じられる、個性的で身近なものに変えました。

 

こうなると、もっと数学を知りたいと思えるマインドに切り替わるのが人情というものですよね!活動歴の長い表現者やその作品物にハマった時のように、学生時代に戻って、もう一度教科書を読みたい!どのように教えられていたかもう一度知りたい!と沼るに至りました。

 

このブログは自分が面白いと思った数学のエピソードの覚書だけでなく、かつての私と同じように「数学が苦手」「つまらない」「興味が持てない」という方に向けたものです。このブログの記事をきっかけに「へー、そんな人がいたんだ」とか「この公式ってこういう理由で生まれたんだ」と、少しでも興味を持ってもらえたらとても嬉しいです!

 

このような長文ポエムを最後まで読んでいただき、ありがとうございます!今日一日が、あなたにとって素晴らしいものになりますように💐