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数学の歴史でよく見る地名「ケーニヒスベルク」を知りたい!

数学者の伝記を読んでいると「ケーニヒスベルク」という地名に出くわすことが多いです。他にもいろいろな地名が数学ドラマの舞台となっているのでしょうが、特徴的な地名なので記憶に残りやすいのでしょう…。

ケーニヒスベルクの橋問題、ケーニヒスベルク大学…(あれ?トピック2つだけ?)

ケーニヒスベルクとはどのような場所だったのか、どのような数学者たちにとって縁の深い場所だったのか。今回はケーニヒスベルクについて調べた結果を共有します!

 

ケーニヒスベルクの地理

ケーニヒスベルク(現在のロシア、カリーニングラード)は、バルト海に面した歴史的な都市で、長い間、学問、文化、経済の重要な拠点として栄えてきました。この都市は、ドイツ(プロイセン)の一部として発展し、特に17世紀から19世紀にかけて、ヨーロッパの知識人たちにとって重要な中心地となりました。

第二次世界大戦中、ケーニヒスベルクは激しい戦闘の舞台となり、1945年にソビエト連邦によって占領されました。その後、都市は大部分が破壊され、ドイツ人住民は追放されました。ケーニヒスベルクカリーニングラードと改名され、ソビエト連邦編入、現在はロシアに属しています。

 

ケーニヒスベルクの歴史的背景

ケーニヒスベルクは、1255年にドイツ騎士団によって築かれた城を中心に発展しました。ドイツ語(Königsberg)で「王の山」という意味を持つそうです。その後、プロイセン公国の首都として繁栄し、16世紀には宗教改革の影響を受けてルター派の中心地となっています。1544年には、プロイセン公アルブレヒトによってケーニヒスベルク大学が設立され、学問の中心地としての地位が確立されました。

 

文化と学問の中心地、ケーニヒスベルク

  • ケーニヒスベルクは、哲学者イマヌエル・カントの故郷でもあり、カントが生涯を通じてこの地で研究と教育を行ったことから、哲学の中心地としても知られています。カントは、ケーニヒスベルク大学で教授を務め、その影響力は非常に大きかったです。
  • ケーニヒスベルクは、哲学や数学、天文学、自然科学の分野で多くの優れた学者を輩出しました。大学や学術機関が発展し、ヨーロッパ全体から多くの学生や学者が集まりました。

 

ケーニヒスベルクと数学①ケーニヒスベルクの橋問題

さて、いよいよケーニヒスベルクと数学についてです。ケーニヒスベルクと数学の組み合わせといえば「ケーニヒスベルクの橋」問題が有名です。

ケーニヒスベルクは、バルト海沿岸のサンビア半島に位置し、プレーゲル川が市内を流れています。川が市内を複雑に分割しているため、7つの橋が架かっていました。この地理的条件を採用した数学問題「ケーニヒスベルクの橋」が、数学史に名を残すことになります。この問題は、グラフ理論の発展に大きな影響を与え、数学の歴史において重要な位置を占めています。

ケーニヒスベルクの橋問題

18世紀、ケーニヒスベルクには、プレーゲル川にかかる7つの橋がありました。この都市は、川によって4つの陸地(2つの島と両岸)に分かれており、住民たちは次のようなパズルを楽しんでいました。

 

問題: 7つの橋を一度ずつ渡り、最初の場所に戻ることができるか?

 

皆様も是非、考えてみてください!

住民たちはこの問題に挑戦しましたが、どうしても解決することができませんでした。この問題に対して1736年に解答を示したのがスイスの数学者オイラーです。解答の内容については別の記事で紹介する予定ですので、ここでは省略いたします。

 

オイラーケーニヒスベルクの橋の問題を解決したことで、グラフ理論という新しい数学の分野が誕生しました。グラフ理論は、点と線(頂点と辺)で構成されるネットワークの構造を研究する分野であり、現代のコンピュータサイエンスやネットワーク理論、化学、物理学、社会学など、さまざまな分野に応用されています。

 

このシンプルなパズルから始まった研究が、後に大きな影響を与える数学の分野を生み出したのです。ケーニヒスベルクの橋の問題は、数学の美しさとその応用範囲の広さを象徴する一例となっています。

 

ケーニヒスベルクと数学②ケーニヒスベルク大学

ケーニヒスベルク大学は、数学教育に力を入れており、18世紀から19世紀にかけて多くの優れた数学者を輩出しました。大学の教授陣には、数学や物理学、天文学の分野で重要な業績を残した人物が多く、彼らが後進を育てたことで、ケーニヒスベルクはヨーロッパにおける数学研究の中心地の一つとなりました。

 

数学的な功績を残した著名人には以下のような人々がいます。

  1. レオンハルト・オイラーLeonhard Euler, 1707-1783)

  2. クリスティアン・ゴルトバッハ(Christian Goldbach, 1690-1764)

    • ゴルトバッハはケーニヒスベルク大学で学び、後に「ゴルトバッハの予想」という有名な未解決問題を提唱しました。彼は数学だけでなく、哲学や法律の分野でも学問的な活動を行い、多くの著名な数学者と交流がありました。
  3. カール・グスタフヤコブ・ヤコビ(Carl Gustav Jacob Jacobi, 1804-1851)

  4. フリードリッヒ・ヴィルヘルム・ベッセル(Friedrich Wilhelm Bessel, 1784-1846)

    • ベッセルは、ケーニヒスベルク大学で天文学と数学を学びました。彼は「ベッセル関数」の発見者として知られ、これは波動現象やその他の物理的な問題を解くために重要な役割を果たしています。ベッセルはまた、恒星の視差を初めて正確に測定し、天文学に大きな貢献をしました。
  5. ダフィット・ヒルベルト(David Hilbert, 1862-1943)

 

多くの偉大な数学者たちを輩出したケーニヒスベルクの地が戦争で失われてしまったのは残念です。もし今も現存したら世界中の数学愛好者やオイラー信者たちからケーニヒスベルクの橋が聖地巡礼スポットとして大人気だったかもしれません…!

 

ケーニヒスベルクと数学のつながり
ケーニヒスベルクの橋問題の舞台
ケーニヒスベルク大学で多くの偉大な数学者を輩出

キーワード
グラフ理論
オイラー

 

他にも「ケーニヒスベルクにはこんなエピソードがあるよ!」や「数学的な有名なスポットはここ!」をご存知でしたら、ぜひコメントお願いします。

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